松江の冬には黒田せり

私が育った松江市の黒田町(くろだちょう)という地域にはかつて田んぼが一面に広がっており、冬になると米の収穫を終えた田んぼに再び水が張られてせりが栽培される様子を、あちらこちらで見かけることができました。江戸時代から受け継がれてきた「黒田せり」と呼ばれるこの伝統野菜の生産量は、田んぼの代わりに多くの住宅が建ち並ぶ現在では、残念ながらすっかり減ってしまっています。そうして以前にもまして希少な存在となったものの、松江では今でも欠かせない冬の味覚である黒田せりのことを、地元の住民としては少しでも多くの方に知っていただきたいと思っています。

江戸時代には黒田村と呼ばれていたこの地域一帯は当時広い湿地帯で、野生のせりがたくさん自生していました。当時のお殿様による有用植物の生産奨励を受けて、その野生せりが改良されて黒田せりが生まれたそうです。明治時代以降に盛んに栽培されるようになり、昭和の時代には野菜売りのおばちゃん達が松江市内を回って売り歩いたり、少し前までは関西方面にも出荷されたりしたという、地域自慢の野菜です。アクが少なく香りが強い黒田せりには、北大路魯山人*から「日本一」の折り紙を付けられたというエピソードも残っています。

*明治から昭和にかけて、陶芸をはじめとする文化芸術に精通し、美食家としても知られた人物。

黒田せりは田んぼで栽培され、収穫時期は11月から3月頃にかけて。冬の時期に田んぼから収穫し、冷たい水で丁寧に土を洗い流すのは、言うまでもなく大変な作業です。田んぼに氷が張っていることも珍しくありません。道具の工夫などで収穫の厳しさは時代とともに少しずつ改善されたそうですが、黒田せりを育てる生産農家さんは徐々に減っていきました。また、中心市街地にほど近いという立地の良さから住宅建築が進められ、田んぼの多くが次々に埋め立てられていきました。

その中で長年にわたり黒田せりの栽培を続け、後進の教育も引き受けていらっしゃる野津宏三(こうぞう)さんと、二人三脚で宏三さんを支える奥様の滋子(しげこ)さんのおふたりからお話を伺いました。

さぞかし厳しい栽培のお話が聞けるだろうと思いきや…自ら企画しマイクロバスも運転する広島への野球観戦一泊二日弾丸ツアーや、地域メンバーによるシニアソフトボールチームの全国大会での活躍などの思い出話に花が咲き、聞いていてワクワクするエピソードが次々と飛び出します。お話の合間のおふたりの軽妙な掛け合いと明るい笑い声にも、すっかり楽しい気分にさせられました。

今年の1月には、お正月前の出荷のピークが過ぎて少し作業が落ち着いたと思っていたところに小学校の給食センターから大量の注文が入り、慌ててお手伝いメンバーをかき集め収穫と出荷をこなされたそうです。「忙しかった~」と口にしながらも、子供たちにせりの味を知ってもらう機会になったことには満足されているご様子でした。

野津家でのせりの食べ方は鍋物やおひたし、胡麻和えに白和えなど、どれも風味を生かした定番メニューが多いそうです。お湯に通す時間は3~5秒程度ですぐに冷水に取り、いかにシャキシャキ感を残すかが何より大切なポイントとのこと。宏三さん曰く、実は出荷のピークを過ぎた1月から3月の間、特に2月頃のせりが一番おいしいそうです。これから春先まで、黒田の土と水がもたらす地元の旬の味を、滋子さん手作りのせり料理でじっくり楽しまれることでしょう。みなさんも、冬の松江にいらした際には、地元のスーパーマーケットなどでぜひ黒田せりを探してみてくださいね。

[参考資料]

JAしまねウェブサイト

https://ja-shimane.jp/kunibiki/agri/product-kurodaseri/index.html

農林水産省ウェブサイト

https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/kurodaseritohorensonoohitashi_shimane.html

おかださつき

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島根県松江市出身。長い間県外で過ごしたのち、2021年にUターン。 かつては知らなかったり気づかなかったりした、松江の良いもの・良いところ・良いけしきを、た...

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